80年代の『あの頃』に生きていれば、僕はオウム真理教徒になっていたかもしれない

80年代に僕が生きていれば、オウム真理教徒になっていたかもしれない

僕は、相対的に考えて一般の学生よりも社会的・能力的に高い位置にいるはずだ。いや、いるという自己認識をもつはずだったと言うべきか。

父親はシンガポール勤務のエリート商社マンで、小学校のころから僕は海外で育った。10年間の海外経験に加え、英語能力だって一般の水準で見れば高い。帰国後、大学に通いながら学外の活動に精をだした。ネットビジネスをやってみたり、政治家の活動を間近で見たり、北海道に農業をやりにいったり、ベンチャーで働いたり、、、。

じゃあ、なぜ今の僕はこれほどみじめなのか!

他の学生が大学生をしてる中、僕はそれに背を向けて行動していたんだぞ。輝かしい生活と輝かしい未来が保証されているはずではないのか!

こんなどこにぶつけることもできない黒い葛藤は、ことあるごとに僕の胸に湧き上がってくる。

新興宗教ブームに乗っかり、オウム真理教などに熱狂した80年代の学生は、たぶん今の僕と同じ精神状態だったのだろうなと、最近思うのだ。

今日はその話をしたい。

「終わりなき日常」とは何か。

現代社会を言い表す言葉は無数に存在する。ポストフォーディズム社会、ポストモダン社会、ポスト構造主義、再帰的近代、成熟社会、、、等々。

もちろんそれらの言葉が意味することは異なるが、どれも同じような背景原理に基づいている。その背景原理とは、「社会における共通前提が失われ、人々は相対主義的価値観の中で生きていかざるを得ない」ということだ。

つまり、戦後から高度経済成長期あたりまでの日本社会には、人々の共通概念としての物語があったわけだ。それは例えば、「焼野原となった日本を復興させなければならない」だったり、「いい大学をでていい会社に入れば幸せである」だったりといった具合に。このような大きな物語を人々は絶対的な価値観として人々は持っていた。

しかし、経済発展に伴う共同体の解体や物質的困窮からの脱却に伴い、人々の価値観は相対的なものになっていった。つまり、「何が幸せ何かは人それぞれ」というわけだ。いい大学に入っていい会社に入ったからといって、医者や官僚になれたからといって、別にそれだけが幸せではない。僕たちは感覚的にそれを理解できるはず。

「終わりなき日常」も、意味するところはこの概念の延長線上である。

僕らのころって、将来科学者になることも官僚になることも輝かしかったじゃないですか。だから、将来が輝かしければ、受験勉強も意味あるでしょう?その点、今の子たちはたいへんだと思う。

勉強して、いい大学に入っていい会社に入ったけど、科学者も官僚も医者も別にどこも輝かしくないし、それで「女にはモテないわ、友だちの輪にはとけ込めないわ」ってなことになると、プータローでも「女だ、クラブだ、パーティーだ」って楽しく暮らせる時代なんだから、これはもうメチャクチャ悲惨ですね。

ー 宮台真司 『終わりなき日常を生きろ』

このような近代社会の中で問題になってくるのは、この言葉の後半部分。「輝かしい未来」に向かって地道に真面目に努力して、いい会社に入ったり医者になったりした人々が、「我慢して勉強してやっとここまでたどり着いたのに、全然幸せじゃないよ!」となることだ。

そうなったときに、全く努力も勉強もしていないのに人生が楽しそうな人々を彼らが見たらどうなるか。「努力も勉強もしてきた俺よりなぜあいつらのほうが幸せそうなんだ」となるのは当然だろう。

「何が幸せかは人それぞれ」とはそういうことだ。真面目に努力を重ねた高学歴エリートがその矛盾に陥っても、「え?お前が幸せじゃないのはお前のせい以外になくない?」としか言ってはもらえない。

多くの人々にとってこの社会は、「絶えざる不幸」がひたすら「内的」にしか帰属できない世界として意識されてしまう。それが「終わりなき日常」ということだ。

したがって、そもそも定義からして「終わらない日常」の中では、モテない奴は「永久に」モテず、さえない奴は「永久に」さえず、イジメられっ子も「永遠に」イジメられるしかない。外部がない「終わらない日常」のなかでは、逃れる道は自ら生命を絶つことぐらいである。

ー 宮台真司 『終わりなき日常を生きろ』

「終わりなき日常」を終わらせようとしたオウム真理教

オウム真理教徒には高学歴エリートが多かったという。それは、「なぜ高学歴エリートが?」ではなく、「高学歴エリートだったからこそ」なのだ。

「こんなはずじゃなかった」という高学歴エリートたちの前に麻原彰晃が表れ、「君たちは間違った常識に囚われているだけだ。世界の真理を僕が教えてあげよう」というわけだ。真面目に一生懸命に努力をしてきたからこそ、彼らはこの言葉がクモの糸のように感じられたのではないだろうか。

私たちの時代には「良きことをしたい」という良心への志向が強ければ強いほど、「何が良いことなのか分からない」という不透明感が切迫し、透明な「真理」への欲求が高まる。それが「さまよえる良心」という問題だ。

ー 宮台真司 『終わりなき日常を生きろ』

ここでポイントになるのは、「輝かしい未来を探し求めて努力を続けても、そもそも万人にとっての『輝かしい未来』なんていうものは存在しない」という点である。すでに価値観の相対化が起こっている社会の中でありもしない輝かしい未来を求め続けて精神的に疲弊した人々は、例えニセモノであったとしても「白黒はっきりした自明の真理」に引き寄せられる。

地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教だけが取り上げられがちであるが、この傾向はオウム以外でもいくらでも見受けられるものだ。80年代後半から連続して起こった「おまじないブーム」「新新宗教ブーム」「自己改造ブーム」「ヒーリングブーム」なども全て同じ文脈で理解ができるはずだ。

そして、「終わらない日常」に対してオウム真理教が出した答えが、「終わらない日常を終わらせることで輝きを取り戻そう」という最悪の逆説である。地下鉄サリン事件の背景については詳しく述べないが、新新宗教ブームから日本史上最悪の無差別テロ事件までの流れは全て、「終わらない日常が生み出す社会のひずみ」が生み出したものなのである。

終わりなき日常は今なお終わっていない

「輝かしい未来」を追い求める中途半端な高学歴エリート、ハハハ、僕のことではないか。

海外勤務のエリート商社マンの下に生まれ、なんとなくそこそこの大学に進学した。入学後は、大学外の活動に精を出した。

入学当初は、いくつか学生団体をかけもって活動した。その中の一つは今でも続けている。
一回生の秋学期が始まるころ、夏休みのバイト代20万ちょっとを握りしめてネットビジネスの世界に入った。
二回生の春休み、NPO団体が主催するインターンシッププログラムで、2カ月間県議会議員の方の下で政治家とは何かについて学んだ。
二回生の冬、第一次産業に興味を持って北海道まで泊まり込みで農業体験をしに行った。
三回生の春、先輩の紹介で入ったスタートアップベンチャーでwebライティングを学んだ。

僕には「輝かしい現在」も「輝かしい未来」もあるはずだった。でも現実はどうだ。僕の現実は少しも輝いてなどいない。未来が輝く保証もない。

自分が輝いていないどころか、「普通の大学生活」の中で友達を作って適当に授業を受けて適当にバイトして全力で遊んでたちに嫉妬すら覚えている。

なぜだ?僕はこの社会において「輝く自分」を必死で行動して追い求めていたんだぞ。なんなら、普通の大学生活すら犠牲にして。それなのに、なぜ僕はこんなにみじめなのだ。

答えは一つしかない。

なんのことはない。僕が追い求めていた「輝く自分」なんていうものは、最初から存在していなかったというだけの話なのだ。

具体性のかけらもない「輝く自分」のためにただ闇雲に暫定的な活動を繰り返した僕の姿は、80年代に新新宗教に熱狂した若者そのものだろう。今でいう「学生団体」や「ベンチャービジネス」などの位置に、あの頃は新興宗教があったのだと思う。

僕があの時代に学生生活を送っていれば、ありもしない自分の外にある「輝かしい未来」を求めて新新宗教ブームに乗っかっていただろう。まだ知識も経験もなかった入学直後であったならばなおさらだ。

セミナーに参加して、一対一で話をして、そして入団という流れだろう。想像の域は出ないが、ヘンに真面目なところのある僕ももしかしたら宗教活動にのめりこんでいたのかもしれない。そう考えると、80年代に新新宗教に身を投じた彼らが他人だとは思えないのである。

ただ、僕と「彼ら」では決定的に異なる点がある。

不安定ながら・情けないながら・カッコ悪いながら進んできた中で、僕が出会えた人たちはみんな本当の尊敬できる素晴らしい人たちだったということだ。

僕自身はどうしようもない奴だけど、僕が出会った人たちはそうではない。誰かのために・自分のために、それぞれのやり方で懸命に歩みを進めていた。あの居酒屋で、休憩中のオフィスで、カフェの席で、交わした言葉一つ一つが今の僕を形作っている。

自分自身のことは信じられないけれど、今まで僕が出会った人たちのことは信じられる。だから、僕はどんなに辛くてもどんなに泣いてもまた頑張ることができるのだ。それはこれからもきっと変わらない。

フラフラしてたけど、そのフラフラは無駄ではなかった。きっといつか、この日々を思い出してその思う時がくるはずだ。

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