オーギュスト・コントは、一般的に社会学の創始者として紹介される。それは一つには、「社会学」という言葉が史上初めて登場したのが彼の著作だったからである。ただ、これは「言葉」がその時使われ始めたというだけであり、それ以上の意味があるのかどうかはわからない。社会学的な発想はそれ以前にも、それこそ古代ギリシャの段階から見出すことはできる。しかし、それでも僕はコントが社会学の創成において特別な役割を果たしたと思う。実際に、彼は自分自身が新しい学問領域を創設するのだという明確な意図を持っていた。そして、その意図は彼の死後、確かに引き継がれたと言えるからである。『社会再組織に必要な科学的研究プラン』は彼が社会学という概念の原型を明確に表明した著作であり、その意味で社会学における一つの記念碑であると思う。
現在社会には危機が迫っているという。その危機とは、社会が道徳的・政治的アナーキーの深みにはまり、それが解体されつつあることである。この事態の原因は、社会組織の解体と再建という二つの正反対の傾向が共存しているという点にある。コントは文中で明言しないが、ここで想定されている「危機」とはフランス革命とその後の一連の混乱であることは疑いようがない。フランス革命は歴史上最も重要な事件の一つであり、その意義は政治体制の絶対的・封建的体制から立憲的・共和的体制への転換という点にある。ただ、この事態は直線的に進んだわけではない。一般的な世界史においてフランス革命という出来事は1789年から1799年の約10年の幅を持って語られ、その過程で内外問わず様々な社会変動をもたらした。フランスにいてこの革命に関与しない人は一人もいなかったほどだ。
さて、社会組織の解体と再建と言うときに、コントはそれぞれの立場を民衆と国王に代表する。フランス革命の動乱に対して両者が打ち出した社会の再組織計画を見てみよう。まずは国王の側だが、彼らにとっての社会の再組織化とは、封建的・神学的体制を完璧な姿で再建することであった。この傾向をコントは退歩的だと断じ、端的に誤りであるとした。なぜなら、封建的な旧体制が没落することは歴史が進展するうえでの必然であるからだ。例え今一度体制を復権させることができたとして、どのみち社会は再びその体制の解体に向かうだろう。絶対王政が崩壊する要因について、ここで事細かに論じる必要はない。
一方で、民衆の立場から社会を再建することも不可能である。なぜなら、民衆が持つ解体の力が社会再建とは原理的に相容れないからである。フランス革命の原動力となったのは、民衆が持つ旧体制を解体させる批判の原理だった。この原理をそのまま社会の再構築の原理とすることは土台無理な話である。すなわち、「戦闘の武器が不可思議な変態によって突如建設の道具に化けたりしない」のである。
一連の動乱を特徴づけている二つの傾向は循環する。国王が封建的・神学的体制を再建しようとすれば民衆はそれを解体するし、また民衆が体制の解体を行う限り国王もまた体制を再建しようとする。そして、二つの力のどちらも動乱を最終的に解決しうる力を持っていないことは先ほど確認したとおりである。「革命の底なしの源泉」であるこの悪循環から抜け出すためには、全く新しい組織理論を構築する必要がある。動乱の要因は循環的な以上、そのどちらかに立脚した形での解決は不可能だ。根本的な社会対立の解消には、双方が納得する新理論を構築するほかないのである。
それでは、社会再組織化の新理論はどのようにして構築されるのだろうか。社会再組織プランの立案にあたり、まずは未熟な成果しか生まなかった両者の実施方法を再検討してみよう。「民衆と国王が用いた方法に共通する欠陥は、両者ともこの事業の性格についてまったく見当違いの考えを現在まで抱いてきたために、この重要な任務を明らかに無能な人々に委ねてしまった点にある」。
まず「見当違いな考え」とは、「本質的に理論的な事業を完全に実践的なものだと勘違いした」ことである。つまり、国王も民衆も社会の再組織化にあたり、理論と実践の区別をつけなかったということだ。社会組織の再組織化という事業を行うためには、社会の指針として役立つ一般観念体系を形成する理論面での作業と、そこで形成された理論に従って社会制度などを構築していく実践面での作業の二つの系列が必要であるとコントは説く。フランス革命以後、30年間に10種類もの憲法が作られては破棄されたが、このような事態はまさに社会を形作る指針となるべき理論面の議論がなされないまま実践を急いだために起こった混乱である。これがまず最も本質的な誤りであった。すなわち、人びとは理論部分を考えることなく実践的な行政面の再組織ばかりに没頭してしまったのだ。様々な対立がある中での指針なき改革が混乱しか生まないことは、容易に想像できることである。こうして人々は完全なアナーキー状態へと自ら突き進んでいった。
この間違いを犯したがために、人々は社会再組織化を担うべき人選の面でも間違いを犯さざるを得なかった。彼らは社会再組織化の要である新憲法の制定に法律家を狩りだしたが、これは間違いである。なぜなら、法律家は雄弁術に優れた才能を発揮するが、新しい理論の構築に長けているわけではないからである(ここで言われる「法律家」とは、現代で言うところの弁護士を想像すればよいだろう)。彼らはどんな意見でもそれを納得させる技法を生業としてきたために、ある理論を構築する仕事には向かないのである。
以上の議論より、まずは新しい社会体制の指針となるべき新理論を構築する必要がある。そして、この仕事に取り組むべきは学者階級である。「この仕事は理論的なものであるから、手続きに則ってもろもろの理論を組立てることを生業としている人々、すなわち観察科学の研究に従事する学者だけがこの種の能力と知的教養を身につけており、その必要条件を満たしているのは明らかである」。要するに、社会再組織のためにはまずは学者が社会についての科学的な新理論を樹立するべきだとコントは述べているのである。なぜなら、学者だけが理論の研究に取り組む能力を持っており、また新理論を社会に受け入れさせるのに必要な精神的権威を有しているからである。
しかし、現段階においてそのような研究を専門とする学問分野は存在しない。したがって、この結論を省みるなら、次のことが言えよう。いわく、「今日の学者は政治学を観察科学の域に引き上げなければならない」。人間精神の性質上、知識の各部門は、まず神学的・創造的状態、次に形而上学的状態、最後に科学的・実証的状態という、三つの異なった状態を連続的にたどる。政治学についてもこの原理は適用され、いまこそ第三の実証的な段階に到達しようとしている。そして、現在の危機に対応するためには政治学のこの変革が必要不可欠なのだ。
実証的政治学、これがコントの提示する新理論構築のための中心思想である。これが後の社会学のプロトタイプであることは言うに及ばない。それでは、実証的政治学とは一体どのようなものであるか。第一に、その他の科学と同様に想像力に対して観察を優位に置くこと。第二に、社会組織はそれと不可分な文明の状態によって確定されており、他方で文明の進行のほうは事物の本性に基づいた普遍法則に従っていると考えること。これら二つの条件は、政治学を科学的に扱う際に必要な条件である。第一の条件はについて多くを語る必要はないだろう。一般的な科学がそうであるように、事実を客観的に観察することを重視せよということである。第二の条件は、ある意味社会について第一の条件を導入する前提となるものだ。社会組織が文明の状態によって確定されているとはどういうことか。これを自然科学と対比させてみよう。例えば、「手を離せば石が落下する」という現象があるとする。この現象を見たままに記述するだけでは科学とは言えない。その背後に「重力」という普遍法則を見つけ出し、またそれを普遍法則と認めてこそある現象を科学的に説明したことになる。これと同じ発想を、コントは社会組織についても求めているのである。社会組織というのは現象であり、その背後にそれを規定している必然的法則が存在することを認めなければ、そもそも社会についての科学は成立しないのだ。
この前提において、コントが社会における普遍法則として挙げるのは、「文明は絶えず進歩する」という法則である。この法則は、過去の歴史を少しでもひも解けば容易に理解可能であろう。人類が文明を築いて以降、その歴史は常に進歩の歴史であった。現に、今現在の文明は過去のそれと比べて明らかに優れているではないか。一時的に文明の退化と見られる出来事が起ころうとも、それはさらなる発展のための布石なのである。このような進歩史観は、先に登場した知識領域の発展説にも見られるものである。
それでは、社会組織を方向付けている文明の進歩という法則を認めたとして、実証的政治学の役割とは何か。「実践的な政治学の本質的目的は、厳密には、見当違いの束縛が文明の歩みを妨げることから生じる暴力革命を防ぎ、それをできるだけすばやく単なる精神運動―平時の社会を静かに動かしている運動よりは活発だが同じくらい規則正しい運動―に還元してしまうことにある」。
先の前提を飲むならば、個人が歴史の進歩に大きな影響を与えることはできないということにも同意しなければならない。どれだけ天才的な人物であっても、文明の進歩という法則の前では一つの偶然でしかない。個人が社会を変革することなどできはしないのだ。しかし、影響を加えることはできないにしろ、歴史の流れ知らずにただそれに従うことと、その流れを知ったうえで行動することには雲泥の差がある。もし歴史の大きな流れを把握することができれば、社会の変動に伴う各種の軋轢を防ぐことができるかもしれない。歴史の流れを読み社会の超趨を見極めれば、予測される暴力的な反動を予測し対策することができるかもしれないのである。つまり、実証的政治学の役割は、社会をコントロールしようとすることではなく、むしろ社会の変動をよりスムーズに進展させることなのである。そのために、歴史と社会の動きを冷静かつ客観的に分析することが必要であり、またそれが「秩序と進歩」をもたらすために必要なことなのである。