本棚の『深夜特急』は埃まみれの好奇心

ある朝、眼を覚ました時、これはぐずぐずしてはいられない、と思ってしまったのだ。

沢木耕太郎 『深夜特急』

『深夜特急』の冒頭の言葉です。深夜特急と言えば旅人にとってのバイブル。筆者が世界を放浪して見た景色がエッセイとして綴られており、息をのむような現実感のある言葉は多くの若者を旅へと誘ったことでしょう。かくいう僕も、そのうちの一人です。

さて、冒頭のこの言葉、この言葉は筆者が旅を始めようと思った時のものではありません。この言葉が日本を発って放浪の旅に出るきっかけとなった心情だったならしっくりきます。むしろこれ以上ふさわしい言葉はない。旅行記なのだから、日本を旅立ったきっかけから始まるのが流れとしても自然です。

でも、この時の場面はもうすでに旅立った後、インド・デリーのある安宿の朝です。旅はもうすでに始まっているのに、なぜ「これはぐずぐずしてはいられない」と思ってしまうのか。インド・デリーの安宿での生活、いかにも刺激満点の異国旅といった趣ではありませんか。

この宿の宿賃は一泊4ルピー、日本円にしておよそ140円です。食費も全くかかりません。バザール周辺の食堂なら一食50円程度でお腹を満たすことができます。暇になったら一杯7,8円のチャイ(インド版の紅茶)をたしなんだり、ベッドでハシシを吸ったり、ヒンドゥー教の寺院でもぶらぶら見物していればいい。そうして時間を潰しているうちに一日は終わり、安宿で眠りにつく。そうした生活を筆者はインドで送ります。

インドは、旅人にとってとても居心地がいい場所だと僕自身もよく聞きます。生活費は安く済むし、そこそこ異国生活を満喫することもできる。慣れてしまえば、いつまでも心地よくぼやけた日々を過ごすことができます。

籠の鳥と違ってどこにでも自由に飛び立てるはずなのに、異国の安宿で、薄汚い寝袋にくるまり、朝、茫然と天井を眺めてみじろぎもしない。その姿には、見ている者をぞっとさせる、鬼気迫るものがあった。
慄然としたのはそれが決して他人事ではないと思えたからだ。

沢木耕太郎 『深夜特急』

ある朝目覚めた筆者は、朝目覚めたばかりのフランス人の若者のこのような姿を目にします。インドのそこそこ心地良い無重力につかまった青年の、旅人とは程遠いぼやけた姿です。その姿を見て筆者は危機感を覚え、インドから「旅立つ」ことを決意するんですね。

その鬼気迫るような焦燥感が僕にも理解できます。僕もシンガポールという異国で10年間生活していました。シンガポールで10年間生活していたと言うと、結構な人から羨ましがられます。でも、日本から見て異国だからと言って、僕のそこでの生活が刺激に満ちたものであったかどうかはまた別問題です。確かに、日本に住んでいる人からすれば垂涎の的のような事をたくさんできた気がします。住んでいたコンドミニアムにプールがついていて一年中プールが入り放題だったり、いつでもマリーナベイサンズまでリバーサイドをぶらり散歩ができたり。セントーサ島に手ぶらで遊びに行ってみたり、コンビニでお酒買って繁華街をぶらついてみるのもいい。

日本に住んでいる今考えれば、当時の環境は今と比べるべくもなく刺激にとんだものでした。でも、人ってどんな場所に居ようと慣れてしまうんです。環境がどうであろうが、やがてその環境が日常になる。シンガポールでの家に引きこもっているだけの一日が、今考えればどれだけもったいないと感じられても、それは当たり前なんです。人間は環境ではなく自分自身によって日常に埋没していく生き物です。そして慣れた瞬間に、自分が慣れた範囲の中だけで生活を完結させ、その外に出ようとしなくなります。

そういえば、シベリア鉄道に乗ってウラジオストクからモスクワまで行って、モスクワからポルトガルまでヨーロッパを貧乏旅行するのが、僕の大学時代の目標の一つでした。ロシアのツンドラを鉄道で駆け抜け、ヨーロッパの乾いた空気を感じながらイベリアまで気ままに放浪する。東アジアでしか過ごしたことのない僕の一つの夢です。入学した当初は本気でそれを考えていたにも関わらず、気づけば下宿と学校を往復し、たまに梅田や神戸に遊びにいくだけの日常です。我ながら、行動の範囲と一緒に心の範囲まで狭くなってしまいました。

もちろん自分の生活圏の中で自分自身の役割を果たすことは重要です。その重要さはここ最近学びました。それでも、溌溂とした好奇心と、その好奇心が縦横無尽に動き回ることのできる浩浩たる心をいつも持っていたい。そう思う今日このごろです。

錆付き始めた目標は、今は無理でもいつか必ず果たして見せます。

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