『ホーボー―ホームレスの人たちの社会学』アンダーソン,1923

本書は、シカゴ大学社会学部の「都市コミュニティと都市生活に関する研究シリーズ」の第一作目として刊行されたエスノグラフィーである。1923年に刊行された本書は、初期シカゴ学派が生み出した代表的なエスノグラフィーの中でも最も早い時期に刊行されており、まさにエスノグラフィーの元祖と言える。

本書で取り上げられるのは、シカゴを中心にアメリカ各地の都市に存在する「ホーボー」である。「ホーボー」とは、現代の日本社会における文脈に置き換えるならば、「ホームレス」の人々ということになろう。しかし、現代の日本における「ホームレス」と当時のシカゴにおける「ホーボー」にはその意味に微妙なズレがある。

「ホームレス」という言葉には、社会的に失敗し、施しを受けることを頼みに都市に巣くう人々というイメージが先行する。一方、アンダーソンが取り上げる「ホーボー」は、「労働者」という意味合いが強い。彼らは、一か所に定住せず、季節ごとに発生する様々な仕事に都市を渡り歩きながら従事する「渡り労働者」である。それは例えば農作物の収穫作業、大西洋岸・太平洋岸における漁業、鉄道の敷設やダムの建設などの現場作業などの仕事である。こうした季節ごとあるいは不定期で発生する現場を転々とする人々が、「ホーボー」なのである。

とはいえ、「ホーボー」も人によって生活の仕方には様々な違いがある。アンダーソンは、「ホーボー」たち自身が使用する言葉に基づいて主に4つの類型に分ける。

(1) 季節労働をしながら各地を渡り歩く人々
(2) 各地を放浪するが、労働はしない人々
(3) 放浪に疲れ、一つの都市で日雇い労働をして毎日を過ごす人々
(4) 放浪も労働もしない人々

タイトルにもなっている「ホーボー」は、狭義には(1)の人々のことを指している。ちなみに、(2)の人々は「トランプ」、(3)の人々は「ホーム・ガード」、(4)の人々は「バン」と界隈の人たちからは呼ばれている。


本書は、学術的なエスノグラフィーというよりも、「ホーボー」の人々の実体を描写した調査報告書のような印象を受ける。これは、「ホボヘミア」「ジャングル」「簡易宿泊所」「切り抜け」「家郷を離れる理由」「ホーボーとトランプ」「仕事」「保健衛生」「性生活」「市民としてのホーボー」「人物群像」「知的生活」「ホーボー・ソングとバラード」「石鹸箱と公開広場」「政治的社会組織」「布教団体と福祉組織」といった章立てからだけでもわかる。したがって、これまでのように議論のおおまかな要約を作ることにはあまり意味がないように思える。

学術な記述がなされているとは言い難いが、しかしその一方、本書が描く「ホーボー」の姿は客観的な視点を維持しつつも正確かつ精密だ。彼らの生活空間、コミュニケーション、規範、文化、問題を彼ら自身の言葉を用いながら生きた経験として語られている。なぜこうしたことが可能なのかと言うと、著者のアンダーソン自身がかつて「ホーボー」であったからだ。

十代半ばから放浪生活を送っていたアンダーソンは、26歳の時にシカゴ大学に入学し、その後大学院時代にホーボー研究を行った。しかし、アンダーソンは自身の研究テーマについても、そしてその方法論についても葛藤を持ち続けていたと言う。ホーボーを研究対象とすることに対する周囲の目は冷たく偏見に満ちていた。また、当時の大学院生にはミドル・クラス出身の人たちが多く、ホーボー出身である自分との生活や価値観の違いもその悩みを加速させただろう。

「ホーボー」という卑俗な研究対象も、エスノグラフィーという方法論も、まだ学問的に承認されることのなかった時代である。だが、当時のシカゴ大学社会学部のフィールド・ワークを重視する学問的情熱はそんなアンダーソンを勇気づけた。アンダーソンに対して、当時のシカゴ学派のリーダー的存在であったR・E・パークはある時「新聞記者のように、君の見たこと、聞いたことだけを書けばいい」と言ったという。こうして、アンダーソンの研究は参与観察という社会学における重要な研究手法の先駆けとなったのである。

アンダーソンの直面した葛藤、すなわち社会学の学問的意義に対する直接的な問いかけは、現在においても依然として社会学に突き付けられているものであるように思える。様々な葛藤と闘い続けたアンダーソンと、重い歴史的意義を持つ本書に対して僕は深い感銘を覚える。

参考文献)

N.アンダーソン (1999)『ホーボー―ホームレスの人たちの社会学(上)』 広田康生訳,ハーベスト社
N.アンダーソン (2000)『ホーボー―ホームレスの人たちの社会学(下)』 広田康生訳,ハーベスト社

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