『社会的行為の構造』 T.パーソンズ,1937 ― 社会秩序はなぜ存在するのか

「ホッブズ問題」とパーソンズ

パーソンズはシカゴ学派の後に社会学界に登場したアメリカの社会学者である。彼は、エスノグラフィーを重視するシカゴ学派とは対照的に、理論研究に重きを置いた。パーソンズがその生涯をかけて取り組んだテーマは「社会秩序」の問題である。この問題は、特に近代以降においては「ホッブズ問題」として提起され続けている。ホッブズ問題とは、個人が自己の利益を合理的に追及しようとすれば、必ず自分以外の他者との闘争が起こり、社会秩序が不可能になるという命題だ。かの有名な「万人による万人の闘争」という言葉で知られるとおりである。

社会において、全ての個人は何らかの目的を持ち、それを達成するために合理的に行為しようとする。この時、各個人が持っている目的が全く異なるものであったなら、あるいは全ての人に行き渡るだけの量があったなら、闘争は起こらずに済んだ。しかし、人が欲するものは大抵の場合他人が欲するものと同じものであり、大抵の場合その量は限られている。例えば、お金や権力や恋人などである。

「個人の自由と平等」は近代社会の基底理念であるが、この理念の下に個人が合理的に行為するならば、必然的に闘争は避けられない。「万人による万人の闘争」は、ある種構造的な問題なのである。

論理的に考えれば、社会は必ず闘争状態に陥る。この問題にパーソンズは取り組むわけであるが、ここで、パーソンズの問いは本質的には「いかにして社会秩序は可能か」というものではない、、。逆である。「論理的に考えれば社会秩序など不可能なはずだ。しかし、それではなぜ社会は成り立っているのか」という問いが、パーソンズの出発点である。

確かに社会秩序は歴史的に何度も危機的状況に陥ってはいるが、しかし、いかなる種類の社会秩序も全く存在しないということはおそらくないはずだ。一体それはなぜなのか、それを解き明かすことによって社会秩序の謎を解明し、そしてそれによってより善き社会を目指すというのがパーソンズの基本方針である。

『社会的行為の構造』の主題

「社会的行為の構造」においても、扱われるテーマは社会秩序についてである。そして、パーソンズはこの問題について「個人の行為」という側面から考察していく。本書の主題は、「社会秩序を可能にしている個人の行為の構造はどのようなものか」といったところであろうか。

その方法は、当時のヨーロッパ思想の二大潮流である実証主義的理論と理想主義的理論の両者を検討するというものであった。具体的には、実証主義論者の代表としてマーシャル、パレート、デュルケームが、理想主義論者の代表者としてウェーバーが取り上げられ、彼ら4人が展開した理論の検証が行われる。そして、パーソンズは対立するこの2つの理論を総合することによって、「主意主義的行為理論」を新たに提示するのである。

新たに提示すると言っても、主意主義的行為理論は全く新しく生み出されたアイデアではない、とパーソンズは述べる。当時を代表する立場の異なる4人の学者たちの理論は、後年になるにつれて次第に主意主義的行為理論に収斂していったとパーソンズは分析するのである。それでは、実際に主意主義的行為理論について見てみよう。

「主意主義的行為理論」

まず、一般的に主意主義とはどういう意味だろうか。主意主義とは、人間の精神を知性・感情・意志の3つに分けたときに、そのうちの「意志」の優位を認める考え方である。「知性」に優位を置く場合は主知主義、感情に優位を置く場合は主情主義と呼ばれる。これに従って、パーソンズの「主意主義的行為論」も、人間は自らの「意志」を最も重視して行為すると考える理論であると言えるだろう。

それでは、次に「行為」とはどのような概念なのだろうか。パーソンズは、行為は基本的に4つの要素から構成されていると考える。(1)行為者、(2)行為の目的、(3)状況、(4)規範的志向の4つである。このうち、(3)状況は、行為者の主観から見て、コントロール可能な状況とコントロール不可能な状況の2つに分かれる。前者は「手段」、後者は「条件」とパラフレーズできる。

以上のような図式に従うならば、行為者は、自分自身が定めた目標に向かって、特定の条件下で適切な手段を選択しながら、なんらかの規範に依拠しつつ目的達成に向かって努力する存在であるとすることができるだろう。

以上のような「行為」の構造からもわかる通り、パーソンズは明らかに目的の定立に重点を置いている。目的の設定は、本質的に個人の意志による選択だ。このような個人は自分自身が定めた目的に向かって努力する存在であるという行為理論は、明らかに主意主義的性格が込められていると言うことができるだろう。

「主意主義論的行為論」から「ホッブズ問題」への解答

それでは、ホッブズ問題へ戻ろう。主意主義論的行為論は、個人の意志による目的設定を前提とするものであった。しかし、個人が自由に目的設定を行い、その達成に向けて努力するのであれば、先に見たように「万人による万人の闘争」という帰結に陥るほかはない。

ここでパーソンズは、人々の目標設定とそれを追求する行為には、ある種の体系が存在すると主張する。つまり、人々は自らの意志によって行為はしているが、その意志には予め「共通の価値体系」が内面化されているのである。したがって、人々は自らの意志によって行為してはいるが、各個人は共通の価値体系を共有しているため、各自の目的追及もある程度体系的に行われ、社会秩序が可能になっているのである。

「ある社会に属する成員の行為は、かなりの程度までその成員に共通した究極的目的の一つに統合された体系に方向付けられている、ということである。もっと一般的にいえば、究極的目的と価値態度という二つの形態をとった価値要素は、かなりの程度までその社会の成員に共有されている、ということである。この事実こそ、社会体系がその均衡を保っていくための本質的条件である。」

パーソンズ 『社会的行為の構造』

「(社会)成員に共通した究極的目的の一つに統合」されているということは、つまり個人は目標設定にはすでに社会的な価値観が入り込んでいるのである。個人が設定する目標は、個人目標ではなく、本質的に社会的な目標だということである。例えば、「友達をつくる」「恋人を作る」「家族を持つ」などは、その目標自体がすでに社会的なものであることがわかるだろうか。

このように、社会秩序は個人に予め「共通の価値体系」が内面化されていることで成立しているのである。逆に言えば、個人が「共通の価値体系」を全く無視した原理に基づいて行為しようとする時、社会秩序は崩壊する。実際に、パーソンズがこのような秩序論を構想した時代は戦間期の世界恐慌の時代であった。アメリカ社会だけでなく西欧世界全体が揺れ動き、まさに社会秩序が危機に瀕していたのである。いや、危機に瀕していたと言うよりも、社会秩序は事実崩壊したと言ってよい。人類史上最悪の戦争である、第二次世界大戦の勃発がそれを物語っている。

本書の理論では社会秩序について説明しきれていない部分が数多くあるとはいえ、パーソンズが提起した理論の意義は大きい。

参考文献)

T.パーソンズ (1976) 『社会的行為の構造/総論(第1分冊)』 稲上毅,厚東洋輔訳,木鐸社
T.パーソンズ (1989) 『社会的行為の構造/M.ウェーバー論(Ⅱ)(第5分冊)』 稲上毅,厚東洋輔訳,木鐸社

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