本書が取り扱うテーマは、「人々が実際にどのように思考しているか」という問題である。マンハイムがこの問題に取り組んだのはの当時、人が精神的な安定を得るために必要な一元的な世界観が解体しつつあったからだ。マンハイムは人の思考をめぐる当時の社会状況について、「史上幾度か訪れた精神的危機のうち、もっとも新しいこの危機」と述べている。
マンハイム 『イデオロギーとユートピア』
安定的な世界観の解体という形での思考の危機は古く16世紀ルネサンスの時代から始まっていたものであり、いまだその危機は続いている。こうした状況の中で、マンハイムは人の思考を社会的に拘束されているものとして研究する「知識社会学」というアプローチを本書で提案する。そして、標題である「イデオロギー」と「ユートピア」は、人の思考が社会的状況から作り上げられていることを示す象徴的な概念として取り上げられる。
マンハイム 『イデオロギーとユートピア』
一般的に、「思考」は人間の活動のうち最も個人的なものだと考えられる。思考が個人によって行われるというのはその通りだ。しかし、だからといって思考という活動の起源が個人だけにあるわけではない。思考の様式やあるいはその内容そのものも、その大部分はその個人を取り巻く社会的状況に依存している。
このことは、特に言語を考えてみればわかりやすいかもしれない。思考は言語を通して行われているというだけでなく、むしろ思考の本質は言語の使用ですらあるが、言語体系は社会的状況に合わせて後天的に獲得されるものだ。言語だけでなく、習慣や性格などもその人を取り巻く社会的環境に大きく影響されて形成されるものだということも、現在では広く受けいれられているだろう。
とはいえ、近代以前においては、個人の精神的安定が脅かされるほど人々の思考に際は存在しなかった。それは、人々の社会的環境が近代と比較して同質的だったからである。例えば近代以前の農村地域においては、人々は同一の共同体内部でその生涯を終えることが普通であった。また、その子孫も多くの場合両親とほとんど同じ人生を送ったであろう。
近代においては、人々は同一の共同体で一生を終えることはほとんどない。経済的・技術的発展は人の社会的移動可能性を激化した。特に、近代における人々の流動性を象徴する地帯である都市部では、生まれ育った社会環境が全く異なる人々が集中する。都市において人々はまったく異なる精神的基盤を持った他者と遭遇することになり、そして自分自身が依拠する世界観に動揺が生じるのである。
自分自身と異なる思考様式との最初の出会いは政治であった、とマンハイムは述べる。異なる思考を持つ人々が一か所に集まりなんらかの合理的行為を行うとき、そこには必然的に利益の衝突が起こる。そこで、人々は思考の違いをまずは政治闘争として経験するのである。知識社会学においてマンハイムが「イデオロギー」という一見政治的な概念をまず第一に取り上げられるのはこのような理由からである。
「イデオロギー」および「ユートピア」について、マンハイムの定義を見てみよう。
他方、ユートピア的思考という概念も、同じく政治闘争から得られた発見を反映しているが、しかし、その発見の内容はイデオロギーの場合とは逆である。すなわち、一定の抑圧された集団というものは、精神面において、社会の特定の状態の絶滅や変革にたいして熱烈な関心をいだくものであるため、知らずしらずのうちに、状況を否認する傾向をもった契機にしか目を注がなくなるおそれがある、という発見である。」
マンハイム 『イデオロギーとユートピア』
イデオロギーとユートピアは何の関連もない概念に思えるが、この2つはどちらも現実を的確に表していないという点で共通している。しかし、イデオロギー的思考は保守的な意味合いを含んでおり、逆にユートピア的思考は革新的な意味合いを含むという点で2つは区別される。
イデオロギーの場合は特に保守的な意味を持っている。すなわち、現状の維持を目的に社会の実体を内情から目を背けるという意味が含まれている。一方で、ユートピア的思考は本質的に革新的な思考の様式である。それは、この思考の持ち主は現状になんらかの不満を持っており、今以上の状態への変革を期待しているのである。
そして、先ほど定義したように、人々の思考が本質的に社会的産物であるとすれば、全ての人々の思考はイデオロギー的あるいはユートピア的であると言える。なぜなら、人々の思考様式が社会環境によって規定されている以上、どのような場合であれ絶対的な思考など存在しないからである。
マンハイム 『イデオロギーとユートピア』
自分自身も含めた全ての思考をイデオロギー的であると認め、その上で思考を省察することが知識社会学の成立する契機である。そしてこの研究は、どのように思考が社会環境に拘束されているのか、自らもイデオロギーでしかない研究者の立場から客観的研究を行おうとする試みなのである。
参考文献)
マンハイム (2006)『イデオロギーとユートピア』 高橋徹,徳永恂訳,中央公論新社