『現実の社会的構成』ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン,1966 ― 社会的世界はどのようにして形成されるのか

僕たちが住んでいる世界は社会的世界である。つまり、社会的な諸要素が物理的な環境と同様に個人に対して所与のものとして現れる。しかし、社会的要素は決して自然界に元々存在していたものではない。だとすると、それはどのようにして形成されたのであろうか。

バーガーとルックマンは、社会的世界が成立過程には3つの契機があるとする。それが、制度化、正当化、内在化である。それぞれの段階は次の命題によって簡潔に表現されている。

「社会は人間の産物である。社会は客観的な現実である。人間は社会の産物である。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

これら3つの命題は一見それぞれが対立しているように見える。しかし、社会はこれら3つの過程が弁証法的な過程をたどることによって成立するのであり、それぞれの過程のどれかを無視して分析することはできない。この記事では、それぞれの段階について簡単に解説していく。

制度化

① 習慣化

社会的世界の始まりは、行為の習慣化である。少し振り返ってみれば、僕たちの社会的生活の大半は習慣によって成り立っていることが分かるだろう。例えば、毎朝学校や会社に行くこと、土曜日と日曜日は休日であること、朝ご飯を食べること、寝る前に歯を磨くことなど、日常生活における大抵の行為は習慣的なものだ。

人が行為を習慣化する理由は、それが労力の節約につながるからである。日々の生活において、何かを遂行するために逐一全ての選択肢を振り返るのはとてつもない心理的負担を強いられる。そこで、これまでの経験から目標達成に繋がった行為をパターン化することで、日々の活動の中で膨大な選択肢の全てを振り返る労力を軽減するのである。つまり、行為の習慣化は意思決定のためのエネルギーを節約することができ、より効率的な活動のために行われる。

習慣化は全ての制度化に先行するものである。これは、例えば無人島で一人暮らしをする人間でさえ何らかの習慣化を行うであろうことからも分かる。彼でさえ、おそらく食事の時間や各種の作業をパターン化して行うだろう。

そこで次に問題になるのは、ある意味個人的な過程とも考えられる習慣化が、どのようにして社会的に意味がある「制度」に変化するのかということである。

② 制度化

「制度化は習慣化された行為が行為者のタイプによって相互に類型化されるとき、常に発生する。いいかえれば、そうして類型化されたものこそが制度に他ならないのである。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

制度とはつまり、ある行為がある行為者のタイプと結びつくときに発生するものである。刑罰の制度について考えてみよう。例えば法制度においては、「殺害」という行為を行った人は「犯罪者」という類型に属することになり、それに対応した何らかの制裁が下される。これは、「殺害を行った人には制裁を下す」という習慣が特定の社会集団の全成員に共有された結果形成されたものである。

単純な習慣化は個人においても成立するものであったが、制度化は特に集団において発生する習慣化プロセスであると言うこともできるだろう。1人で生活している人が毎朝同じ時間に朝食を取ることは、習慣であっても制度ではない。しかし、4人家族において毎朝同じ時間に朝食を取るという習慣があったとすれば、これはある種の制度であると言えよう。彼らはお互いを「家族」として認知しており、それに基づいて「ある時間に朝食を食べる」といった習慣を共有しているのである。

③ 制度の他者への継承

制度は、それを作り出した人々から次の世代へと継承される過程において完成する。他者への継承というプロセスを経ることによって制度はある重要な要素を獲得するからだ。それは、制度の客観性という性格である。

夫婦であるAとBが何らかの制度を作ると想定してみよう。例えば、二人は同じ時間に朝食を取ろうという約束をしたとする。この制度がこの制度を作成した二人だけに適用されている場合、この制度はいまだ主観的なものであり可変的だろう。どちらか一人が寝坊した場合、おそらくこの制度は簡単に変更されうる。しかし、この二人に子どもができ、子どもにもこの制度が適用されるようになった時、それは客観性を持った固定的なものとしての性格を帯びるようになる。

なぜなら、その制度の成立過程を知り得ない子どもにとって、「同じ時間に朝食を取る」という制度はまさに自然的環境と同じように所与の社会的世界として現れるからである。両親にとっても、制度を世界そのものであると認識する子どもの存在によってそれを簡単に歪めることができなくなる。子どもが、両親にとって制度の客観性を示す審級となるのである。

「この時点に達したときにのみ、はじめて社会的世界について語ることが可能になる。つまり個人にとって自然的世界の現実にも似た姿をとってあらわれる、包括的な所与としての現実、という意味で、それについて語ることができるのである。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

 

制度がその作成者の手から離れた時、それは人々にとって客観的な世界として現れることになる。すなわち、ある人々にとって便宜的なものでしかなかった習慣が、逆に人々を規定するようになる。

正当化

「正当化の機能はすでに制度化されている<一時的>な客観化過程の産物を客観的に妥当なものにすると同時に、主観的にもっともらしいものにすることにある。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

先述した通り、制度が社会的世界となるためには次の世代への継承を通した客観化が必要であった。この時、その制度が持つ妥当性が問われることになる。

制度の継承が正確に行われるためにはその制度に含まれている妥当性を説明し、その正当性を証明する必要がある。正当化とはこうした<説明>および正しさの証明過程のことをいう。

制度の正当化は「なぜその制度が存在するのか」を説明する過程である以上、それは言語によって表現可能な<知識>あるいは<論理体系>によって行われるものである。この正当化のプロセスは4つの段階に分けることができる。

① 制度を表す言語の出現

まず、制度を表す言語の登場が正当化の第一段階である。これは、人から人へ制度という概念が伝えられる上で当然必要だろう。例えば親族関係に関する制度が継承される場合には、「いとこ」という言語なしには制度の継承は不可能である。人がいとこをいとこであることを知るためには「いとこ」という言語が存在していなければならない。言語あるいはなんらかの記号体系の出現は、制度の継承という場面に限らずあらゆる社会生活の基礎と言えるだろう。

② 原初的な正当化理論の成立

ある種の諺や格言あるいは民話などは、制度の正当化理論の原初的な形態である。言語の出現においては、そこには何らの理論も含まれてはいなかった。この段階においては、制度の<説明>が含まれるようになる。

「早起きは三文の徳」とか「口は災いのもと」などの具体的な行為に直接結びついている諺がこの段階における原初的な理論である。現代においても、特に根拠はなくともこのような諺が無条件の正当性を持っている(ように感じる)のは、それが古くから継承されてきたものであるからという一点によるものではないだろうか。

③ 部門ごとに分化した明確な理論形成

この段階になると、制度の正当化のために本格的な理論体系が形成され始める。制度は部門ごとに整理され、またそれぞれの部門に対応した知識体系が専門家によって運用されるようになる。

親族関係に関する制度、狩猟に関する制度、冠婚葬祭に関する制度など、行為を規定する制度が一定の部門ごとに整序される。これに伴い、複数の理論を統合する必要が生じる。部門ごとに整理されているとはいえ、複数の制度を統合するためにはある程度体系的な正当化理論が必要となり、理論は理論そのものとして発展していくことになる。つまり、理論は純粋理論になり始める。

理論が単純な行為を越えて形成されていく中で、一見無意味にも思えるような形式的な宗教儀式や各種のしきたりなどが発展する。そして、こうした形式的行為とそれを正当化する理論体系は、例えば氏族における長老などの専門家によって管理・運用されている。

④ 象徴的世界の形成

原初的な理論の形成段階では、制度は部門ごとに整理されているのであった。この段階においては、全ての制度が一つの全体的な理論へと統合される。つまり、全ての社会的生活が一つの理論によって説明されるということであり、人間はこの総合理論の体系の内側で活動するということを意味している。

「いまや制度的秩序のすべての部分がすべてを包括する準拠枠組のなかに統合されるのであり、そうした準拠枠組みが、今度は、ことばの文字通りの意味で、一つの世界を構成するのである。それというのも、すべての人間の経験は、いまやこの枠組みの内で起こるものとして考えることができるからである。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

象徴的世界は社会的に客観化され、主観的にも現実的なすべての意味の源泉である。この意味で、もはやこの理論体系は現実とは異なるレベルで1つの世界と呼ぶことができるものである。

世界そのものを包括するような巨大な宗教的理論が支配する社会を考えてみればよいかもしれない。そうした世界では、例えば、全ての人間の行為の究極的意味は超越的な<神>によって規定されている。定められた制度からの逸脱が起こった場合には、神への冒涜という根拠によって社会的制裁に正当化が与えられるのである。このように、象徴的世界が形成され、この理論体系が全ての行為を正当化することによって社会生活は成り立つのである。

内在化

制度化・正当化を通して形成された客観的現実としての社会は、人々に内在することによって、言葉を変えれば、人々にとって主観的な要素として捉えられるようになることでその効力を発揮する。

人間は社会的な存在であるが、しかし個人は最初から社会的な存在として生まれてくるわけではない。どのような個人も社会的世界を自分自身の内に取り込むことで、社会の成員になるのである。

「この程度の内在化を終えたとき、はじめて個人は社会の成員になる。これが行われる個体発生的な過程が社会化と呼ばれる過程であり、それゆえ、社会化とは、社会ないしはその部分の客観的世界のなかへ個人を包括的かつまた調和的に導き入れることである、と定義することができよう。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

客観的な世界の内在化、すなわち社会化には2つの段階を想定することができる。

① 第一次的社会化

第一次的社会化とは、個人が幼年期に経験する最初の社会化のことである。第一次的社会化は通常個人にとって最も重要なものであり、その個人が生涯を通して過ごすことになる社会的世界の基本的構造が獲得される。

この時重要な役割を果たすのは、彼の社会顔担当する意味ある他者である。多くの場合、それは彼の両親だろう。幼児は彼の両親から基本的な社会生活について多くを学ぶ。両親を通じた社会化は、純粋に物事の意味や理由と言った認知的な側面だけでなく、感情的な要素も含まれる。

「幼年期の世界は、その鮮明な現実性において、意味ある他者という人間そのものに対する信頼をもたらすだけでなく、状況についての彼らの定義に対する信頼をももたらす。幼年期の世界の現実性は圧倒的な力をもっており、疑う余地のないものとしてあらわれる。意識の発達のこの段階においては、世界はおそらくそうしたものとして経験されるよりほかにないのであろう。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

② 第二次的社会化

「第二次的社会化とは、制度的な、あるいは制度的に基礎づけられた、<下位世界>が内在化される過程」である。第二次的社会化で獲得されるものが<下位世界>であるのは、先述した第一次的社会化で獲得された世界が<上位>として存在するからだ。

第一次的社会化で獲得される世界は個人に対して極めて強い影響を及ぼす。それは、<世界はそういうものなのだ>というように、所与の絶対的な現実として経験されるのものである。一方、第二次的社会化はあくまで第一次的社会化で獲得された世界を基盤として行われるため、個人にとっては相対的なものとして経験される。

「第二次的社会化がもつより<人為的>な性格は、その内在化されたものの主観的現実性を、挑戦的な現実定義の脅威を前に、なおいっそう弱々しいものにする。それは内在化されたものが自明視されていないから、とか、日常生活においてはそれらはより現実性に乏しいものとして理解されているから、という理由によってではなく、それらの現実は意識への根差しがさほど深くなく、それゆえにまたより置換されやすいからである。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

環境に応じて求められる役割の取得は、この第二次的社会化に当てはまるだろう。職業教師であれば自分のアイデンティティと関係なく教師としての振る舞いを求められるし、あるいは家庭において男性は父としての役割を期待される。こうした制度的環境に応じて求められる振る舞いの取得が第二次的社会化であると言うこともできるだろう。


以上述べてきた制度化・正当化・内在化の3つの過程は、正確に順序だって起こるものではない。これらの過程のそれぞれは常に社会において同時に起こっているものであり、また互いに影響を与え合って進行する相互的なものである。

こうした認識の中で最も重要なことは、社会は人間にとって所与の現実として現れる、、、としても、それは所与の現実ではない、、、、ということだ。現存する社会も過去のある時点において人為的に形成されたものであるし、またそれは常に生成変化の過程の中にある。

「ことばをかえれば、人間の経験において社会的世界は客観性という性格を帯びてあらわれはするが、だからといって、社会的世界がそれを生み出した人間の活動から独立した存在論的地位を獲得するわけではない、ということだ。」

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン 『現実の社会的構成』

どれだけ巨大で複雑なものに見えようとも、社会は変えることができる。なぜなら社会は固定的なものでも客観的なものでもないからだ。現存する社会を無批判に受け入れる必要はないし、またそうするべきではない。それは常に生成変化するものとして認識しなければならないのである。

参考文献)

ピーター・L.バーガー,トーマス・ルックマン  (2003)『現実の社会的構成 知識社会学論考』 山口節朗訳,新曜社

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