『道徳の系譜学』フリードリヒ・W・ニーチェ,1887 ― 「道徳」の裏に潜むものは何か

わたしには公にしたくない独自の疑念があった―すなわち道徳に関する疑念であり、地上でこれまで道徳として崇められてきたすべてのものに対する疑念である―。

『道徳の系譜学』ニーチェ

本書はその名の通り「道徳の系譜」を明らかにしようとするニーチェの試みである。道徳の系譜をたどることによって、ニーチェは西洋の伝統的な道徳とその価値がどのようにして作りだされたかを明らかにし、道徳の価値の価値、、、、、、、、を確かめようとした。西洋近代の根底に流れる道徳概念は現代に受け継がれている部分も多く、彼の生きた時代において行ったこの試みは現代に生きる僕たちにとっても意味あるものだと思う。

本記事は、次のことを頭の片隅に置きながら読み進めていってほしい。

もし、ある時代において何の疑いもなく信じられている道徳の起源が人間の最も醜悪な部分に基づくものであったとしたら?

ニーチェが近代の道徳観に下した評価はいかなるものだったのか。本記事では、本書に収録されている3つの論文のうち、『第一論文「善と悪」と「善いと悪い」』の内容を取り上げて解説していく。

騎士的で貴族的な価値評価 ローマ人における「良いと悪い」

道徳の系譜を考える上でまずニーチェが注目するのは、「良い」という語の起源である。ニーチェによると、「良い」という語は、様々な言語において同一の概念からの変化として捉えられるという。

どの言語でも、身分の高さを示す「高貴な」とか「気高い」という語が根本的な概念であり、そこから「精神的に高貴」で「気高い」という意味で、「精神的に高潔な」とか「精神的に特権をもつ」という意味で、「良い」という語が必然的に生まれてきたのである。


すなわち「良い」ということを示す語群とその語根には、まださまざまな形で貴族的な人間が自分のことを高い位階の人間であると感じていたことをうかがわせる強いニュアンスが、ほのかに光り続けているのである。貴族的な人間はほとんどの場合、力において優位に立っていることに基づいて自分を名づけたか、こうした優位をはっきりと示す<しるし>に基づいて、たとえば「富裕者」とか「有産者」と自分を名づけたのである。

『道徳の系譜学』ニーチェ

「良い」の起源である「高貴」や「気高い」という概念は、もともとは貴族的な人間が自分たちのことを形容するために作ったものである。そして、歴史の初期において貴族的な人間とは、他者を征服し支配する戦士階級であった。例えば古代ギリシアの都市国家においては、自らのポリスを異民族の侵略から防衛する、あるいは、他の地域を侵略し征服することができる戦士が政治的にも経済的にも強い力を持っていた。

騎士的で貴族的な価値を持っていた人々の代表として、ニーチェはローマ人を挙げている。

ローマ人は強い者であり、高貴な者だった。かつて地上にローマ人より強く高貴な人々は出現したことがないし、そのようなことを夢想した人は誰もいないのである。

『道徳の系譜学』ニーチェ

古代ローマ帝国は西ヨーロッパと地中海沿岸地域を掌握した大帝国である。元々はイタリア半島の小さな都市国家であったが、周辺諸国との征服戦争に勝利し続けることで膨大な領土を獲得した。

侵略国家であるローマの皇帝は基本的には将軍としての性格が強い。侵略と勝利こそがローマに横たわる根底的な価値観であるローマにおいて、帝国の象徴たる皇帝が軍事をつかさどる存在であるのは当然だろう。世界的に知名度の高いローマ帝国の将軍であるカエサルも、現在のフランス・ベルギーなどに当たるガリア地域を征服したことで名声を得た人物だ。

ある意味、これ以上わかりやすい「良さ」はないだろう。すなわち、「良い」とは「強い」ことと同義なのである。「強さ」=「気高さ」=「良さ」という価値評価が、歴史上道徳観念として元々は支配的だったのだ。では、この騎士的で貴族的な価値とは具体的にどのようなものなのだろうか。これについて、ニーチェの記述をいくつか引用する。

すべての高貴な道徳は、勝ち誇るような肯定の言葉、然りで自己を肯定することから生まれるものである。


そして彼らは、もともとは力に満ちあふれた人々であり、それゆえ必然的に能動的な人間だったから、幸福と行動を区別する必要もなかったのである。


高貴な人間にとって怜悧であることはそれほど重要なことではない。それよりも重要なのは、無意識のうちに作動する本能の機能が完全で、確実であることである。むしろある種の怜悧さは欠如していて、危険にも敵にも勇敢に突進していくほうが望ましいのだ。あるいは激怒、愛情、畏敬、感謝、復讐などがめくるめくように突発することのほうが、望ましいのだ(これらはいかなる時代においても、高貴な魂がたがいを認めあう瞬間である)。

『道徳の系譜学』ニーチェ

気高く強き者は安全や安楽や平和には無関心であり、危険と冒険と戦争を望む。彼らは弱き者を征服し、勝利を祝う。強いこと、気高いこと、それこそが貴族の道徳なのである。一方で、強き者の被害を被った人々の目線からは、彼らは「野蛮」であり「残虐」な「悪しき敵」として映るだろうが。

貴族の道徳の根底に横たわっている本質的な価値観は、「勝ち誇るような肯定の言葉」であり、「然りで自己を肯定すること」だ。他者から「野蛮」であると見られるほどの圧倒的な自己の肯定、この肯定の力こそが「強さ」なのである。「勝利」や「征服」などの言葉は、この自己肯定の外部への発露に過ぎない。

すなわち、「自己を圧倒的に肯定すること」が、貴族の道徳における「良い」ことなのである。この貴族の道徳が、歴史上元々は支配的であった。しかし、「自己を肯定すること」=「強さ」=「良さ」というシンプルかつ力強いこの価値評価は、歴史が下るにしたがって没落していくことになる。

司牧者的な価値評価 ユダヤ人における「善と悪」

貴族的な価値評価は、やがて司牧者的な価値評価にとって代わられたとニーチェは言う。貴族的な価値評価における「良いと悪い」という道徳観念に対して、司牧者的な価値評価における道徳観念は「善と悪」という言葉で表されている。

この司牧者的な価値評価のことを、ニーチェはルサンチマン(ルサンチマンについては後ほど詳述する)から生じた「奴隷の道徳」であるとして厳しく批判する。「良いと悪い」と「善と悪」がどういった点で異なるのか、まずはこの道徳が発生した経緯からお見せしよう。

「悪しき敵」を考えだしたのは、まさにこのルサンチマンの人間なのである。しかもそれを基礎概念として、その模造として、対照的な像として「善人」なるものを考えだしたのである―この善人こそ、自分だというわけだ!……

『道徳の系譜学』ニーチェ

貴族の道徳においては、「良い」という概念がまず先にあり、その対比として「悪い」というイメージを作りだした。一方奴隷の道徳の場合、まずは「悪」という概念が先にあり、その対比として「善」という概念が生み出されたのである。つまり、「良いと悪い」と「善と悪」という2つの道徳は、その起源からして全く逆なのだ。

「良いと悪い」が貴族や戦士のイメージから連想される概念であるのに対して、「善と悪」は司牧者階級と結びついている概念だ。司牧者とは、さしあたり宗教的権力を持つ司祭階級のことだと思えばいいだろう。宗教的権威は、いつの時代も戦士的な権力と並び立って存在していた。

司牧者的な価値評価(奴隷の道徳)を生み出した代表的な民族として、ニーチェはユダヤ人を挙げている。

ユダヤ人、あの司牧者的な種族は、敵対する者や征服する者たちに復讐する手段としては、こうした者たちが貴い価値があると考えているものを根本的に否定するしかなかったのである。[征服されて捕囚の運命を味わった]ユダヤ人は精神的な復讐という行為によって満足するしかなかったのである。これこそが司牧者的な民族、裏に隠れて司牧者的な復讐欲に燃えていた民族に、もっともふさわしいものだったのである。


ユダヤ人とは、貴族的な価値の方程式を(すなわち良い=高貴な=力強い=美しい=幸福な=神に愛された)、凄まじいまでの一貫性をもって転倒させようと試みた民俗であり、底しれぬ憎悪の(無力な者の憎悪の)<歯>を立てて、その試みに固執した民族なのである。

『道徳の系譜学』ニーチェ

ユダヤ人の歴史は、常に他民族による征服と迫害と共にあった。当時の古代エジプト王朝による迫害から逃れるため、モーセに率いられたユダヤ人がエジプトの地から脱出した逸話(「出エジプト」)はあまりにも有名である。それ以降も、例えば新バビロニアによるバビロン捕囚やイスラーム勢力による支配など、ユダヤ人は周辺諸国からの征服と支配に服し続けてきた歴史がある。すなわち、ユダヤ人はニーチェの言葉で言うところの「弱い者」だったのである。この「弱い者」から生まれた道徳が「奴隷の道徳」なのだ。

それでは「奴隷の道徳」とはどのようなものなのか、先ほどと同じようにニーチェの記述から引用していこう。

奴隷の道徳は最初から、「外にあるもの」を、「他なるもの」を、「自己ならざるもの」を、否定の言葉、否で否定する。この否定の言葉、否が彼らの創造的な行為なのだ。


奴隷の道徳が生まれるためには、まず自分に対立した世界、外部の世界を必要とする。生理学的に表現すれば、行動するために外部から刺激をうける必要があるのだ。―彼らの行動は基本的に<受動的な反応>なのである。


「善人とは、暴力を加えない者であり、誰も傷つけない者であり、われわれのように隠れている者であり、報復しない者であり、復讐は神に委ねる者であり、われわれのように隠れている者であり、すべての悪を避け、人生にそれほど多くを求めない者である。われわれのように辛抱強い者、謙虚な者、公正な者のことである」。―しかしこの言葉を先入見なしに冷静に聞いてみれば、そもそも次のように言っているにすぎない。「われわれのように弱い者は、どうしても弱いのだ。」

『道徳の系譜学』ニーチェ

「奴隷の道徳」の特徴を一言で表現するならば、「圧倒的な自己否定」ということになるだろう。自分が弱い者であることを認め、開き直り、それ以上を望まず、考え方だけを変える。自分のことを自分自身で肯定できないから、「あいつらは悪い。だから自分たちは善い」というように他者に対する自身の劣位を認めることからしか自己を規定できない。なぜニーチェが司牧者的な価値評価を「奴隷の道徳」と言って嫌悪したのか、その感覚を少しは理解することができる。すなわち、この道徳観はその本質からして、ひどくあさましいのだ。

ルサンチマン

以上、貴族の道徳と奴隷の道徳について見た。この2つの道徳観念は端的に真逆だ。貴族の道徳にとっての「良さ」が奴隷の道徳にとっての「悪」であり、同じく貴族の道徳における「悪さ」が奴隷の道徳における「善」に対応している。自分の力を思う存分発揮して、自分の生を自ら切り開く能動性は弱きい者にとっては「悪」であり、その逆が彼らにとっての「善」なのだ。

そして道徳にこのような転換をもたらしたのが、ルサンチマンである。ルサンチマンとは、妬みやひがみ、自分より強い者への嫉妬心のことであり、奴隷的な価値観そのもののことである。ルサンチマンについて、本論文からニーチェの言葉を引用してみよう。

ユダヤ人、あの司牧者的な種族は、敵対する者や征服する者たちに復讐する手段としては、こうした者たちが貴い価値があると考えているものを根本的に否定するしかなかったのである。[征服されて捕囚の運命を味わった]ユダヤ人は精神的な復讐という行為によって満足するしかなかったのである。これが司牧者的な民族、裏に隠れて司牧者的な復讐欲に燃えていた民族に、もっともふさわしいものだったのである。
ユダヤ人とは、貴族的な価値の方程式を(すなわち良い=高貴な=力強い=美しい=幸福な=神に愛された)、凄まじいまでの一貫性をもって転倒させようと試みた民俗であり、底しれぬ憎悪の(無力な者の憎悪の)<歯>を立てて、その試みに固執した民族なのである。

『道徳の系譜学』ニーチェ

ここで言われているところの「復讐欲」が、すなわちルサンチマンにあたるだろう。ここで述べられている通り、「貴族的な価値の方程式を凄まじいまでの一貫性をもって転倒させ」たものこそが、ルサンチマンなのである。

驚くべきことに、ルサンチマンによる道徳観念の転倒の試みは、歴史上大成功を収めた。ルサンチマンの道徳、すなわちキリスト教的道徳の世界的な普及がそれである。「善と悪」のルサンチマン的道徳は、キリスト教が以前ほどの影響力を持たない現代においても私たちの道徳観念に強い面影を残している。

ルサンチマンの道徳と、ニーチェの嫌悪

ニーチェは、キリスト教的道徳をルサンチマン的な価値観に基づくものであるとして批判した。キリスト教的な道徳の根底に潜む弱い者のルサンチマンに対して、ニーチェは嫌悪感を隠さなかった。

わたしがどうにも耐えがたいと感じているものは何だろうか?わたしだけが始末に負えないと感じているもの、わたしの息を詰まらせるもの、やつれ果てさせているもの、それは何だろうか?それは汚れた空気なのだ!汚い空気なのだ!出来損ないの者が身近に迫ってくること、出来損ないの魂のはらわたの臭気を嗅がなければならないことなのだ!

『道徳の系譜学』ニーチェ

社会の根底に、ルサンチマンはうごめいている。いや、僕たち一人一人の魂の内にそれはある。自己否定と、自己否定から生まれる他者への憎しみ、妬み、復讐心。ルサンチマンは誰しもが持つものだからこそ、それと立ち向かうための力がきっと必要なのだ。だからこそニーチェはルサンチマンを徹底的に嫌悪し、その反対にある「自己を肯定する力」を高らかに称揚した。僕はそう思う。

参考文献)

フリードリヒ・W・ニーチェ (2009)『道徳の系譜学』 中山元訳,光文社

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